フォークで刺した地球を

僕らは、ワンルームの蛍光灯の下で。

春になれ。

春服を買ったのに、まだ着れそうにもない。春がもうすぐやってくることも、冬がいなくなってしまうことも、来年も変わりやしないのに永遠みたいな一瞬だった。

全てが決まるのは今ではなくて終わりの時であっても、私はずっと火傷の跡を撫で続けている。お別れがきてしまったもの、傷のついたレンズ、見えなくなってしまったもの、もうかけなくなったメガネも、いつか思い出される時まで死んでいる。

他人を変えることはとても難しくて、他人に変えられることはとても簡単だ。だって私は君を救えなかったし、君は私を生かしてしまった。それだけが私たちの全てではないけれど、それが私の全部。

 

「本当は普通になんてなりたくないんじゃないの」って、そう聞えた。聞き流しながら食べた白米は水加減がちょうどよかった。ウイスキーが濃い、ジンジャーハイボール。炭酸苦手なんでしょ?って笑われた。そういうときもあるのよって笑い返した。生きるために選択したことは、大概が積極性を欠いている。

最近はスマートフォンで日記をあげることが多くて、久しぶりにパソコンで表示したら文字の大きさがガッタガタで笑った。思春期みたい。恥ずかしい。

「面白いね」って言われることばかりで、きっと私にはそれしかないくらいなのだけれど、ちゃんと仲直りしなよって言われたこととか、それでも正論だけが人を救えないことや、真っ直ぐであれない自分が嫌でしかたがない。わかっているけど、わかれないことがこの世界には多すぎると思うんだ。生きにくい。まだ何も変わっていない。

かぜ

鼻が詰まって苦しい。時計の音がうるさい。話せば棘ばかり刺さるとしても、口を閉じたら死んでしまう気がした。機械のように動けたら楽だったろうに、感情に流された身体は海にも浮かないな。

期待してまた傷をつけて、そうして生きてくことも悲しみを消せないことも、正しくない。

でも桜がまた咲くことは変わらなくて、それはとても美しいことだと思う。